続・吾輩はヲタである

JR券をメインとしたきっぷのブログ

はやぶさ(寝台)

はやぶさ(寝台)

▼種別:特急

▼運転区間:東京~熊本(1日1往復)

▼最終運転日:平成21年3月13日

Hayabusa (最晩年の「はやぶさ」:博多駅)

 寝台特急「はやぶさ」は昭和33年に東京~鹿児島間で運転を開始しました。昭和35年には20系客車を投入し、運転区間を東京~西鹿児島(現:鹿児島中央)間としました。昭和43年~50年の7年間は長崎行の編成が連結されたこともありました。昭和50年に24系に置き換えられたのを機に長崎行を熊本行に変更し、熊本駅で付属編成を切り離す運用となりました。その際に長崎行は寝台特急「みずほ」に吸収されました。

 私の手持ちの時刻表(昭和55年10月)にあった当時の編成図です。熊本駅で食堂車を含む東京寄りの7両を分割・併合していました。

←西鹿児島                            東京→
[A個][B][B][B][B][B][B][食][B][B][B][B][B]

    東京    名古屋      博多     熊本   西鹿児島

下り 16:45 → 21:39 →→→  9:20 → 11:08 → 14:49

上り 10:30 ←  5:35 ←←← 17:50 ← 16:01 ← 12:22

 ダイヤはこんな感じですごいことになっています。東京~西鹿児島間が22時間もかかっています。しかも、東京から西鹿児島に着いた車両はそのまま折り返せず、西鹿児島で一泊してから翌日に折り返す効率の悪い運用です。

 長らく「はやぶさ」の運転区間はそのままで、昭和60年にはロビーカーが連結され、JR化された平成元年には2段式B寝台がB寝台1人用個室(ソロ)も連結され、堂々たる14両編成での運転でした。この編成とダイヤはソロが連結された直後の平成元年7月の時刻表の情報です。熊本駅で東京寄りの8両が分割・併合されました。

←西鹿児島                                 東京→
[B][B][B][B][B][B][食][ロ][B][B][B][B個][A個][B]

    東京    名古屋      博多     熊本   西鹿児島

下り 17:05 → 21:33 →→→  8:37 → 10:20 → 13:34

上り 10:09 ←  5:29 ←←← 18:18 ← 16:35 ← 13:06

 西鹿児島に一泊する運用は相変わらずですが、この間に直流区間の牽引機の変更(EF65→EF66)もあってか下りは20時間半、上りは21時間に短縮されています。ちなみにこの当時の上下の「はやぶさ」は鹿児島線・薩摩松元駅ですれ違っていました。

 結局、「はやぶさ」はこの頃あたりをピークに凋落が始まりました。平成9年には運転区間を東京~熊本間に短縮し食堂車の連結がなくなり、平成11年には編成を9両に短縮した上で東京~鳥栖間で寝台特急「さくら」を併結し、二階建て列車となりました。この編成とダイヤは平成12年3月のものです。東京寄り6両は「さくら」の編成です。

←熊本・長崎                                東京→
[B][B][B][B][B][ロ][A個][B][B][B個][B][B][B][B]

    東京    名古屋      博多     熊本

下り 18:03 → 22:50 →→→  9:53 → 11:40

上り 11:27 ←  6:52 ←←← 19:44 ← 17:30

 上り下りとも発車時刻が1時間繰り下げられたので、終着駅到着が昼前になり、首都圏⇔九州の往来には使いにくいダイヤになっています。しかも、所要時間は平成元年当時より遅くなっています。鳥栖駅での分割・併合作業や九州内での昼行特急の通過待ちなどが影響しています。この頃の鹿児島線は特急列車が1時間に何本も運転されており、足の遅い寝台特急を足の速い電車特急が追い抜くことが珍しくなくなっていました。これが嫌われて寝台特急の利用客が減っていくという側面もありました。

 平成17年に併結相手の「さくら」が廃止になると併結相手を寝台特急「富士」に変更しました。両者の編成を6両ずつ同一とし、門司駅で分割・併合を行いました。この編成とダイヤは平成20年10月のものです。

←熊本・大分                              東京→
[B][A個][B個][B][B][B][B][A個][B個][B][B][B]

    東京    名古屋      博多     熊本

下り 18:03 → 22:47 →→→ 10:10 → 11:49

上り  9:58 ←  5:19 ←←← 17:33 ← 15:57

 単独で14両もあった編成は6両にまで減っていました。2階建てでも12両です。下りのダイヤはあまり変化がありませんが、上りは1時間半繰り上げられて東京に10時前に着けるようになりました。しかし、昼の4時といえば特急「リレーつばめ」「のぞみ」乗り継ぎでもその日のうちに東京へ帰れます。飛行機であれば言わずもがなです。他交通機関に対する寝台特急の限界をさらけ出してしまった感さえありました。

G0850 

 私が多少金銭的余裕ができて、「これからは寝台列車での旅行もできるかな…」と思えるようになったのは皮肉にも寝台列車が衰退が決定的になった頃でした。九州に縁があったわけでもないので、「はやぶさ」にはそれほど多くの回数は乗れていません。ヒルネを含めせいぜい6~7回です。

 このきっぷを利用したときは、定時退社しダッシュで東京駅へ向かいました。東京駅を発車した「はやぶさ」から眺めた丸の内のオフィス街や東京タワーの景色は、キラキラ輝いていてとてもきれいだったのを覚えています。見慣れた景色ではあったんですが、いつもの満員の通勤電車ではなく非日常的な寝台列車から眺めた景色はまた格別でした。今まで九州へは飛行機や新幹線でも何回も行っていますが、やはりこのときの記憶が一番印象に残っています。

 「はやぶさ」「富士」とともに平成21年3月で廃止となり、寝台列車に半日揺られて首都圏と九州を往来するという選択肢は完全になくなりました。懐古主義な考えかもしれませんが、旅行まで速さや効率を重視した新幹線や飛行機しか選択肢がないのは、残念な感じがします。非日常を楽しむ旅行だからこそ、ボロくて遅くて高いという普段は選ばないであろう選択肢が一つぐらい残されていてもよかったんじゃないかなと思います。

 なお、明日から運転される緑色のメタリックの「はやぶさ」についてはここでは触れないことにします。