続・吾輩はヲタである

JR券をメインとしたきっぷのブログ

0系狂騒曲(後編)

ひかり340号

◆種別:新幹線

◆運転区間:博多→新大阪

Hakataposter (博多駅のポスター)

 前編の続きです。

 博多駅から天神へ移動し食事をしてから、福岡市某所のホテルにチェックインしました。午後9時を過ぎていました。少し落ち着いてからホテルの部屋でネットで何となく翌日の「ひかり340号」の空席を見てみました。運良く空いてたら乗ろうかなというスケベ心が出たためです。翌日は博多駅で朝9時にレンタカーを借りて出かける予定でしたが、小倉駅に着いてすぐに新幹線で戻ればギリギリ間に合います。

      博多    小倉

ひかり340号 8:06 → 8:26着/8:33発→→新大阪(12:05着)

ひかり443号 8:54 ← 8:36

 博多→小倉間ですら禁煙・喫煙とも相変わらず満席でした。時間を開けて何回か試してみましたが同様でした。そろそろスケベ心がが萎えかけた頃にありえないことが起こりました。禁煙席が一瞬になったのです。行きの時と同じようにすぐに「エクスプレス予約」で座席位置を指定せずに予約をかけました。携帯に返ってきた結果メールには「ご希望の列車を予約しました」と…。

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取れてしまった(・∀・)

 しかも行きと同じく5号車の禁煙窓側です。団体枠の余りを戻すタイミングにしては遅すぎます。前日の窓口が閉まりかける夜遅くにこっそり戻してくれた人に感謝したいです。

 翌朝、早起きして100円バスに乗って博多駅へ向かいました。「みどりの券売機」で予約したきっぷを受け取った後、空席を見てみましたがやはり禁煙・喫煙とも満席でした。空きが出た一瞬の空席を拾えたようです。普段はたかだか20分の区間に指定席に乗るような無駄遣いはしませんが、今回は特別です。

Hikari340sign (博多駅発車サイン)

 発車番線は14番線でした。博多駅の14番線は博多止まりか博多南線直通列車のほぼ専用ホームと化していて、新大阪方面の上り列車が発車するのは1日2本だけです。

Hikari340_1 Hikari340maku

 0系さよなら運転は上下合わせて6本運転されました。そのうち新大阪行きはこの「ひかり340号」のみでした。ひかり 新大阪」の方向幕もいよいよ見納めになりました。前日同様にドア口には係員が特急券の確認をしていました。

Jama_2

 博多駅を発車する最後の0系だったので、朝早いのに0系を撮ろうとしていた家族連れっぽい人がたくさんいました。写真を撮影する際には黄色い線からはみ出さないようにしつこく注意していて、現場の人は相当ピリピリしていた印象は受けました。初老の係員が柵にぴったり寄り添った位置に座り込んで、時折笛をピーピー吹いて怒鳴っていました。仕事ですから注意するのは当たり前ですが、何もわざわざ写りこむような位置に座り込まないでもいいような気がしました。うまく撮るのに苦労しました。上の写真はその係員が線からはみ出したヲタに実力行使するに至り、場所を空けたタイミングに撮影したものです。

 列車は定刻どおりに発車し、しばらく鹿児島線と並行するように走りました。0系がこの向き(上り方面)で走るのは最後です。吉塚駅からもこちらにカメラを構えていた人もいました。独特の走行音も本当に聞き納めになりました。でも、前日で最後のつもりが期せずしてもう一度乗ることができてよかったと感じました。

Hikari340kinensho

 小倉駅で降りるので早々に記念乗車証(クリックで拡大します)を貰いました。博多駅を発車して早々に乗車記念グッズ購入の整理券が配布されましたが、販売は小倉駅を発車してからとのことだったので諦めざるを得ませんでした。

 わずか20分で小倉駅に到着しました。「これで最後」という区切りを付ける間もなく終わってしまった感じでした。小倉駅では通過待ちはありませんでしたが、7分停車しました。博多駅よりは人が少なめで、例の係員もおらず余裕をもって写真を撮ることができました。これで最後のつもりで撮りまくっていたら、運悪くデジカメの電池が死亡しました…。最後は新関門トンネルに吸い込まれていく0系の赤いテールランプを見送るしかありませんでした_| ̄|○

Hikari340_3 (小倉駅;この直後デジカメの電池が死亡)

 その後すぐに新幹線で博多へ戻り、予定通り博多駅でレンタカー借りて出かけました。夕方になって博多駅の新幹線口でレンタカーを返却し、福岡空港へ行くべく博多駅へ向かいました。その時ふと新幹線ホームを見上げたところ、ちょうど14番線に0系が入線してきました。復路の「ひかり347号」到着の1時間半も前のことです。

0_final (博多駅外から)

 電池切れになったデジカメのスイッチを入れてみたところ、運良く入り一枚だけ撮影できました。時刻はちょうど午後4時半で、前日に乗った「ひかり355号」の到着と同じでした。ヲタもほぼノーマークだったようで、遠目から見た感じでも撮っていた人は少なめでした。編成番号までは確認していないので真相は謎ですが、広島か岡山の運転所に退避していた車両の回送(=実質廃車回送)だったのかもしれません。

 こんな感じで私の0系”狂騒曲”は終わりました。私の鉄ヲタとして最初の記憶は横浜の親戚の家に行くときに乗った0系でした。小学校に入る前の一人旅デビューも名古屋から新横浜まで乗った0系でした。100系が登場してからはちょっと浮気しましたが、思い入れはありました。最後の最後に運良く2回も乗ることができてよかったです。博多駅のポスターではありませんが、「長い間ありがとうございました」というのが率直な思いです。

0_kunren (山陽線車内から撮影)

 正月に山陽線を上っていた際、思わぬところで0系の姿を見ました。幡生~新下関間の新下関駅に着く手前辺りの場所です。これは山陽新幹線の新下関駅上りホームから小倉寄りの高架下に1Km程度の訓練線が延びていて、そこの訓練用車両として使用されている4両編成の0系(車籍上は廃車済み)です。その姿を山陽線の車内からも見ることができました。廃車になって久しいので、外装がボロボロでかなり痛々しい姿になっていましたが…。この0系の動向も気になります。

【補足:2009/1/12】 

 新下関駅の0系訓練車は私が見かけた2日後の1月4日未明に博多総合車両所へ回送されました。おそらく解体されるものと思われます。代わりの訓練車は今回定期運用から離脱した0系にならないか淡い期待をしているんですが、いかがなものでしょうか…。