続・吾輩はヲタである

JR券をメインとしたきっぷのブログ

1枚目

吾輩はヲタである。

 インパクトだけで決めてしまった。ブログの題名orz

 自分自身「ヲタ」ではないと思っていても、端からはどう見ても「ヲタ」に見えるらしいので自嘲の意味をこめて。

 3連休の勢いだけで作ってしまったブログだからまぁいっか…。

 きっぷ収集を始めて人生の半分近くになる。私鉄やバス、船まで手を広げてしまうと歯止めが利かなくなり財政破綻してしまいそうなので、JRとJRに乗り入れる私鉄の連絡券に限定して収集するように当初から決めている。

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  これが記念すべき1枚目。昭和63年のものなので既に民営化されているが、きっぷの地紋は国鉄のままになっている。

 横浜の親戚宅からの帰りに2階建ての新しいに乗りたくて、無理やり乗ったときのもの。シャープな外観は子供心ながら単純に「カッコイイ」と感じた。

 当時は新横浜駅は今ほど地位が高くなく、ひかりはほとんど通過だった。そのため運賃余分に払ってわざわざ東京駅まで戻って乗りに行った。

 2階建ての食堂車でどうしても食事をしたくて、東京発車直後にガキ1人で並んだ。が、ちょうど昼時と重なってしまい食事にありつけたのは浜松を通過したあたりで、かなり焦り気味にコーンスープ(450円)を飲み干した覚えがある。

 名古屋に着いてから改札口で記念にこのきっぷを欲しいと駅員に頼んだところ、すんなりもらえた。当時は本格的に収集するつもりはなかったので、この券は長い間引き出しに眠っていた。 

 そして月日は過ぎ、新幹線から食堂車が消え、新しくてカッコイイ新幹線は新型車の登場により次々と廃車になり、6両ないし4両に短くされて全然違う色に塗り替えられ山陽新幹線のこだまで細々と生き残るのみ。岡山や広島でその姿を見るとちょっと悲しくなる。

 その間、私のきっぷコレクションは1万枚に届くぐらいにまで増殖した。今のうちは集めてて面白いが、いつかは止めるかもしれないし、死ぬまで止めないかもしれない。

 収拾がつかなくなりかけたコレクションに途方にくれつつ、整理を兼ねてブログ化していけたらと思う。